わたしは生きたことがない。
生まれる前からこの部屋でとうめいだったから。
窓の外には花々がゆれている。うすももいろ、きいろ、儚いみどり。
そのどれにも刺はなく、駆けてゆく子供たち、行きずりにぺんぺん草をつかんでは
抜き取って振り回しながら横断歩道を渡って行った。あんなふうにされている草で
さえ、少しは羨しいという気がするんだよ。つやつやに膨らんだあの肌色の、
クリームパンみたいな手にぎゅっと握られて、一瞬でも青空の下を仰いだから。
わたしは生きたことがない。この部屋で、ガラス瓶が割れる音をただ聞きながら、
破片が誰かの肌に食い込むのであればどうかあいつの頬とか額だとかに、と黙って
祈っている。
階段を駆け上がると四角い空が見え、また壁だけになり、そしてまた空が見え、
その隙間にサッカーボールが飛んでゆく。
水たまりは三日前から広がったり縮んだりしながらなくなろうとはしない。背後に
つく足跡に、わたしってこういう靴を履いていたんだ、と知らされる。かけっこの
ために一度だけピンク色の靴を買って貰った日からずっと、ピンク色が好きで、
それ以外のものは全然好きじゃない。マジックテープでびりびりと剥がしていくように皮膚が裂けていったな。きみの手を握って保健室まで走っても、それを縫い止められるものはひとつもなくて、ちいさなワゴンの引き出しを全てあけて途方に暮れる頃に救急車が来た。青ざめた顔でだいじょうぶと言わせてしまう、わたしは将来の夢においしゃさんと書いたのだけど、そのためには期末テストで満点を取らなければいけなかったのだけれど、どうしても学校に行けなかったね。どうしたらきみの怪我を縫ってやることができますか?
100年前のような昨日のような夢から覚めて、壁に空いた穴をながめる。
おとうさんがやったの?と聞いたら、あんたがやったのよ。と言われた。
わたしはわたしは、生きたことがない。もうこの部屋には誰もいない。冷蔵庫もまな板も包丁もワンカップの空き瓶も掃除機も机も椅子もなく、足のうらにはりつく埃と水垢のついた洗面台の鏡!わたしのからだの凹凸が、たしかに濃い影になる。どんなふうに痛むの?なぞってみると皮膚を超えて骨のかたさまでもがわかることがうれしくて、きみにも一枚めくったらおんなじように骨がありますか、と何度か、話した。この部屋に。
「あ!」と、声を出す。きみがもしこの部屋に来たら、歌をうたおう、わたしのなかに流れる体液を一滴残らずとくとくと注ぐようにうたおう、グラスが割れている。
わたしの声は部屋じゅうに満ちて、これが命だったんだ!と知る、窓から光が差している。埃がわたしの心のように、踊る、踊る、このひとつぶひとつぶを神様と呼びながら生きていたね。きみはわたしの命の躍動に溺れて死んでしまったけれど、わたしはきみを救えないほどに生きていることが眩しかった!わすれないね。ここがわたしのからだの楽園。全部きれいだった。
2nd model_Miho
photo_Iida Erika
direction/styling_Toda Makoto
hair&make_AOKI
making_Nomura Akira
Lover staff_Ishizawamoe